09. 終わりの歌 - 9/15

 別の場所で食い入るようにラケルタをみつめる人物が、もうひとり。
「すごいすごいすごい! ラケルすごい! 超歌うまい! わかってたけど!」
 いうまでもなく、本来のヒロイン・イヴである。少女は、かろうじて彼女ひとりを収納できるだけの狭い空間に寝転がり、端末のホロと音声にかじりついていた。ホロは、美しい歌声をきかせる彼女の親友を映しだしている。彼女の知的な雰囲気だと、少年の扮装もシャープな感じでよく似合う。けれど女らしさを隠しきれないところは、まさにユスティナだ。
〈どうしてわかってたの?〉
 端末のスピーカーが、〈オペラ〉大ホールの中継とは別の音声を流した。
「さあ、どうしてだろうねー?」
〈イヴちゃんのいじわる〉
「イヴちゃんとかやめてよ。パパみたい。イヴって呼んでくれなきゃ、何も教えてあげないよーだ。……あっ待って静かにして! ラケルがサイレと出会っちゃう! ズーム!」
 大ホール天井のカメラが、イヴの言うとおりラケルタとサイレに迫った。今、オペレッタは最初の山場、ヒーローとヒロインが出会うシーンだ。この手のオペレッタでは、出会いからトラブル、引き裂かれるふたり、そして誤解がとけて結婚へ、と短い時間で盛りあがらなければいけないため、出会いはひと目惚れに決まっている。
 村の週末の夜、農作業を終えて、村のたったひとつの酒場に老若男女が集う。もちろん、オーレンダとユスティナは性別を偽っているので、日頃はそんな危険な場所には立ち入らないが、その日は友人の結婚祝いがあり、そのたっての願いで行くはめになった。結婚する友人たちというのが、ユスティナの男友達Aと、オーレンダの女友達Aであり、ユスティナがオーレンダに密かに想いを寄せているというので、友人思いな二人が企てた次第だった。
 ふたりはそれぞれ、内心こわごわと、しかし外見は取り繕って、酒場に入っていく。
〈だれにも気づかれないように、隅で隠れていましょう〉
〈毅然と、美しく、高貴に。だれにも触れられないように。さあ、顔をあげて〉
 ユスティナは暗がりに身をひそめながら、オーレンダは人波の中央へ堂々と、登場する。ユスティナは、光のなかを歩く、女王のようなオーレンダに見惚れる。
〈すてきな方! みんな、酔いを忘れてあの方に見入っている〉
〈オーレンダ! 僕らの女王!〉
〈あの方がオーレンダ! なんという方を愛していると言ってしまったのかしら。あんな方を、つまらない嘘に巻きこんでしまった。友達がよけいなお世話をしないうちに逃げましょう〉
 しかしおせっかいな友人は放っておいてくれない。男友達B、つまりアイバンが、目立たないようにしている彼女をみつけだし、
〈愛しい友ユスティン! 君の思い人に忠誠を誓え〉
 と、ユスティナを光の中へ押しやり、
〈女神オーレンダ! かわいい友を憐れに思いたまえ〉
 と、男友達Cがオーレンダをユスティナのほうへ押しやる。
 悲鳴をあげて――ここももちろん歌声で表現する――ぶつかったふたりだが、当然ながらオーレンダのほうが強いため、はねとばされるのはユスティナだ。ここはコミカルに、サイレが突きだしたおしりにラケルタが跳ね飛ばされる。客席から笑いが起こる。
 あまりのことに、蒼白になる双方の友人たち。酒場はきまずさに包まれる。
 倒れたユスティナ。まずった、という顔のオーレンダ。だがユスティナは、震えるまなざしでオーレンダを見上げると、
〈怒らないでください、憐れみをください、美しい女神よ〉
 で始まる口説きのアリアを、かわいらしい声色で歌う。ときおり声を震わせて、しかしポーズだけはいっぱしの二枚目のように。
 歌い終えると、オーレンダのひと言。
〈なんと可憐な!〉
 うっかり男の声で歌ってから、
〈なんて愛らしいのでしょう〉
 と高い女声で歌いなおす。そして居酒屋は、もとの楽しい夜に戻っていく。こうして、オーレンダの心に可憐な少年ユスティンがすみつき、一方ユスティナの心には美しくも寛大なオーレンダへの憧れが芽生え、ふたりのラブストーリーが始まる。
 一幕は出会いの喜びを歌うデュエットで締めくくり、いったん幕は閉じる。一幕一幕はそんなに長くないのだが、アマチュアの学生団体というのもあり、一幕ごとに休憩が五分入ることになっている。
 イヴはホロから目を離し、
「ラケル最高だよー! ランドもそう思うでしょ?」
 狭い空間で足をじたばたと動かした。
〈価値判断はわかりかねるよ〉
「ポンコツなんだから」
 言うと、いきなり警報音が鳴り響いた。「なぁに、怒ったの?」
〈この場所に危険人物が近づいているよ〉
「えっ!」
 イヴは起きあがり、天井にごんと頭をぶつけた。いったぁ、と思わず声をあげたとき、イヴのいる空間にさっと光がさしこんだ。
「こんにちは」
 と、その人物はほほえむ。
 逆光で見るその人物の瞳は、赤だった。
「こんにちは、シファ。血塗られた花嫁」
「懐かしい話ね」
「相変わらず、人間のルールはまるで無視なのね」
「あなたは、今のルールの隙間で楽しくやっているようね。星神の力が弱くなったおかげで、ただ人として生まれることができて、よかったこと」
「それは、ほんとそう」
 ここは、イヴの自宅、つまり市長公邸の中だ。トリゴナル内は個人の住宅だろうとなんだろうと、すべて治安維持のため常時監視されているが、イヴの部屋は娘に甘い義父の権限でその網から外されていた。イヴの自室から通じるこの屋根裏は、義父にも知らせずにつくった「システム上はトリゴナル内に存在しない空白の部屋」であり、それはイヴの言うところの〈妖精さん〉の力で成り立っていた。
 一応、サイレたちに対しては「イヴが誘拐された」という話にしてあるが――バレバレだろうけども――要するにイヴは、義父を含め誰にもみつからず姿を隠しきり、最終日のヒロインをラケルタに委ねるため、この部屋で息をひそめていたというわけだ。
「残念ながら、星神の力は弱まっているとはいえ、まだ存在しているの。セキュリティシステムと星の配置はなんの関係もないことよ。あなたこそ、以前は見えない目で星の位置がわかったのでしょう? 目が見える代わりに星が見えなくなったということね」
「それも、ほんとそう。少ししかわからない……だけどどうしたらいいのかはわかる。うそが本当になっちゃうけど、あなたと一緒に行く。……ラケルが来てくれるから」
「あまり素直だとつまらないわ」
 シファは手をさしだした。イヴは手をとり、よいしょ、と屋根裏からからだを滑らせる。シファの手は冷たいが、イヴの体重を片手で動かせるほどに力がある。人間離れした力だった。
「あなた前もそうだった。こうなる運命だからと、ただ座って殺されるのを待っていた」
「抵抗できる力もなかったし。目も見えなかったし。今は一応力はあるけど、あなたはそれ以上だもんね。抵抗してもむだでしょ」
 イヴの〈妖精〉は、警報を鳴らしつづけている。
「最後のときが来たんだよ、シファ。勝負しよ。といっても、あたしとじゃないけど」