〈本日、ユスティナ役のソプラノ、イヴ・クロカワが体調不良のため、代役をラケルタ・ノヴァリがつとめます〉
突然の告知に、イヴのファンたちのため息が聞こえたが、それ以外はとくだんの騒ぎもなく、最終日の舞台の幕は上がった。
最初にサイレの扮する主役・オーレンダの導入のアリア。ヒロインの登場は、そのあとすぐだ。はじまりのアリアを終えて舞台袖に入ったサイレは、他の団員と同様、固唾をのんで舞台を見守る。
〈――いや! いや! いや!〉
思ったよりもずっと、伸びやかな歌声で、ラケルタは踏み切った。
「よし!」
思わず団員一同、舞台袖でガッツポーズになる。つい声が大きくなって、内部事情を知らない聴衆は首をかしげたが、代役ヒロインの声の美しさにつられて拍手した。
〈汚い! くさい! うるさい! どうして男ってこうなの?〉
喝采にも、ラケルタは一切動じなかった。コミカルな演技も、不慣れなために少しぎこちないところはあるが、ずっと練習を見てきただけあって、アマチュアであれば問題のないレベルだ。サイレの横で見守っていたギルヴィエラも、もはややけっぱちな態度はなくなり、ふむ、とつぶやいた。
「こりゃ大したもんだ。イヴのアホも侮れない。これを表に出すためにやったとしたら」
「ときどき、イヴは何もかもわかってるみたいだと思うことあります」
「星のお導きとか言うかねえ、あいつは。だけど、放っておいたら絶対に誰にもみつけられなかった力が、星とやらのおかげで表舞台に出てきたんなら、スピリチュアル趣味も悪くないな」
珍しく満足げにギルヴィエラは笑いをもらした。「だけど、いくら星が導いたって、あそこまで歌えるのはラケルの努力だろ。なんで今まで、かたくなに歌手やろうとしなかったんだか。いくら性格が控えめだからって、あそこまで歌えるのに」
「本当に歌えなかったんだと思います。あのとき――おれに歌をくれたから、彼女は歌を失った。でもやっと、歌を返すことができた。いや、おれのなかにはまだ彼女の歌がある」
「あん?」
怪訝な目つきで振りむいたギルヴィエラを、サイレはもはや見ていなかった。ただ、愛らしい少年の扮装をして、ころころと歌い、くるくると踊る少女を、じっとみつめていた。
ヒロイン・ユスティナの歌声と、その男友達の合唱が交互にくりかえされる、「男同士」のユーモラスな掛け合い。アイバンはそのうちの一人として、友人の初舞台を心配げに見守っている。お調子者の友人Bのくせに、顔は心配丸だしだった。イヴじゃあるまいし、アイバンに心配なんかされる必要はない、とサイレは思う。
ラケルタだけだ。
ラケルタだけが、歌をうたっている。このアマチュアのオペレッタの中で、ほんものの歌をうたうのはラケルタだけ。
自分の中にある彼女の歌が、呼応している。歌え。記憶を――歌え。
(会いたかったのは、きみだ)
サイレの口もとに、笑みが浮かぶ。(どうしてきみのこと、忘れていられたんだろう)
ギルヴィエラはそんなサイレをちらりと一瞥してから、くっと笑い、舞台をみつめる少年を残してその場を離れた。
