09. 終わりの歌 - 4/15

「何かが足りない」
 着替えが終わって控え室を出たサイレに、叔父が近づいてきた。「考えかたはまちがっていないはずなんだ。何か最後のピースが……」
「うん、でも」
 サイレはクエン酸入りドリンクを吸いこみながら、足早に歩く。「星(メモリア)じゃない、『映像』じゃないエンジュを見られた。ありがとう、叔父さん」
「礼はまだ早い。公演はまだ終わってないからな」
「別に公演に合わせる必要ないでしょ」
 喉が渇きすぎて、ドリンクが止まらない。音をたてて飲み終わると、うしろから走ってきたラケルタが、次のドリンクをさしだした。ありがと、と言うと、
「サイレ。公演はあと二日あるから……、一日で燃え尽きないで」
 声をかけて、お下げ髪の友人はいなくなった。けなげだねえ、と戯れ言めく叔父を無視して、サイレはそのままのスピードで〈オペラ〉階段ホールへと降りていく。
「合わせる必要はあるぞ」
 叔父が問いに答えるのと、カメラのフラッシュが焚かれるのとが、ほぼ同時だった。
「モリソン教授! 先ほどの公開実験の結果を、どう位置づけますか?」
「〈毒の海〉と古代の〈草の海〉を入れ替えるまで、どれぐらい時間がかかりそうですか?」
「サイレ君! とうとうエンジュさんに会えたわけですが、今のお気持ちは」
「今日の公開実験はあくまで第一段階だと考えています。古代の少女の姿を、あなたがたも見たはずだ。いくつかの段階を経て、あなたがたは彼女をこちらの世界で見ることになる。わが甥が幸せになるのをね。もっとも、彼女が甥を好きになってくれればだけど。まぁ、甥は愛される子ですから。公演はあと二回。公開実験もあと二回行います。乞うご期待ですよ。なお、実験を続けるには先立つものが必要です」
 叔父はカメラマンたちをかき分け、階段を突き進みながら、はきはきと回答した。
「サイレ君はどう? 今の気持ちは?」
 サイレは叔父のかげで黙々とドリンクを飲んでいたが、水をむけられ、
「エンジュがこちらをむいてくれなければ、会えたなんて思わないです」
 もう一度、フラッシュが激しく点滅する。そのとき、階段を下からのぼってくる一団があった。その中心にいる老人が、オーバーアクションで手を振っている。
「モリソンくーんっ。サイレっくーん」
 叔父は中年とは思えないスピードで階段を駆け下り、足下にひざまずきかねない勢いで頭を下げた。
「市長。ご足労を」
「足労なんかじゃないよ。かわいいイヴちゃんのクラブと、あなたの有意義な研究成果を見られるんだから」
「恐縮です」
 タカアキ・クロカワ。あのイヴの義父、このトリゴナルKの筆頭設計者で現市長だ。
「今日のところは成功といってもいいね。でもまだやれるでしょ? もっと『効果的』に」
「もちろんです、市長。ご期待ください」
 叔父は神妙に意気ごんでみせる。こんな叔父は生まれて初めて見た。さすがにアカデミアの主要パトロンなだけはある。
「サイレくん。会うのははじめてだね。いつもイヴちゃんから話は聞いてるよ。すばらしい歌声だった」
 オペレッタのことなのか、もうひとつの出し物のほうなのかは、市長は何も言わなかった。サイレは黙って頭を下げると、もはや報道陣にも何もこたえず、足早に階段を下りていった。
 そのとき、入口の扉がひらき、外の光が階段ホールにさしこんだ。
 光のかたまりを割って、華奢な黒い影がひとつ――
「マ――」
 どくり、と心臓が大きく動く。
 どく、どく、どく、と。まるで耳のそばに心臓があるかのようだ。
(あの日、――に、おれは)
「サイレ君」
 気弱そうに呼びかけてきたのは、彼女の一人だった。サイレはあいさつの代わりに手をあげる。先に行ってるか? という叔父に、いやいいよ、と答え、足もとめずに彼女の横を通りすぎる。
 すれちがいざま、彼女は声を振り絞る。
「……サイレ君、最近変。変だよ」
 サイレは通りすぎ、それから振り返った。
「恋をしたから」
 じゃあね、とだけ言った。