09. 終わりの歌 - 3/15

「サイレ……!」
 歓喜の波の衝撃で、サイレは現実に戻った。
 サイレは〈オペラ〉大ホールの中心にいた。のばした手の先には、イヴの手がある。しかしイヴの顔に浮かんでいるのは、決して喜びなどではなく、サイレは怪訝に思った。
 目の前は奇妙に明るかった。通常、公演中のホールは暗く、舞台上だけがスポットライトに照らされていて、歌手が客席の一人ひとりを判別するのは不可能だ。しかし今、客席の中央、人々の頭上に、不思議な明るい光がある。スポットライトほど強くはない、どこか包みこむようなやわらかい光が、叔父たちラボメンバーが忙しそうに立ち働く場所を中心に存在していた。
 何ごとが起こったかと目を凝らせば、人々はそこにみいだすだろう――光のなかを横切る影を。
「――エンジュ……!」
 そして、今や全トリゴナルが知る古代の少女の姿に、ボーイソプラノの少年のラブストーリーの結末に、客席じゅうが歓喜した。
 サイレは自分のおかれた状況も忘れ、飛びだそうとした。
 そこに、彼女がいた。最後に樹上城で彼女が着ていたメサウィラ王妃の装束を身にまとい、広い草原をひとり歩いていた。
 長い裾をひきずって、けれどひきずっていたのは裾だけではなく、あの恐ろしい武具、アルバ・サイフもだ。鋼の糸を長々と草の上にたらしたまま、彼女はどこかを一心にみつめながら歩きつづけていた。
 だが、そこにあるのは悲壮さだけではなかった。何らかの意志が、明らかに彼女を支配していた。
「エンジュ! おれだよ」
 サイレだよ、といおうとして、口をつぐむ。彼女はサイレを知らない。知らないまま、遠い昔に死んだ。
(だけど)
「ダメっ!」
 一歩前に踏みだしたサイレを、イヴが強い力で引っぱった。「それ以上は行っちゃダメ!」
「放せ!」
 反射的にサイレはどなった。どんな女性にも、こんな乱暴な言動をしたことはなかった。けれどイヴを力づくで振り払うことは、サイレにはできなかった。
 スポットライトに照らされた友人の顔は、涙にゆがんでいた。サイレの腕を力いっぱい抱きしめて、イヴは叫んだ。
「あの子は、ここにはいない……!」
 今日の主役のかたわれである少女のひと言に、客席から驚きの声があがった。そう彼女が言い放ったとたんに、客席上の光が、いっそう淡くなっていく。
 強い意志のまなざしをした、恋しい少女も。
「いやだ、エンジュっ」
「ダメだったらー!」
「サイレこのバカ、落ちるぞ!」
 舞台上に駆けこんできたのは、団長ギルヴィエラだった。ギルヴィエラは容赦なくサイレを殴り飛ばした。サイレは舞台に倒れた。
「ギルヴィそれ痛い!」
「バカは痛い目みないとわからないだろうが!」
 むろん、舞台の端は絶壁、下はオーケストラ・ピットだ。しかもかなり高さがあり、落ちれば無事ではすまない。
「団長、覚えてろよ……」
「サイレぇー!」
「かしこまりましたぁー」
 そう言い放ち、ギルヴィエラは用事は終わったとばかり、さっさと舞台袖に引っこんだ。イヴはサイレの首にすがって泣きはじめる。泣きたいのはこっちだ。
 イヴの背後には、すっかり暗くなってしまった客席がある。
(こっちを見てくれなかった。こたえてくれなかった。何も)
 客席は、失敗とも成功ともつかぬショーの幕切れに、とまどいがちな拍手をした。