神田さん / すこし・ふしぎ系短編

神田さんnote画像

 隣の貸家にはカエルが暮らしている。
 かれは二足歩行し、身長は大人と同じくらいあって、矢作(やはぎ)を見下ろす。TPOに配慮した服装で街を行くが、顔も手も土色でぬめり、近づくと生臭かった。
 名前は「神田さん」。神田さんが越してきたとき、近隣住民は戸惑った。引越し屋のトラックに同乗してきた新しい住人を、ひと目見ようと窓からのぞきこみ、のぞきこんだ瞬間じぶんの正気を疑うはめになる。
「あ、ご近所の方ですね」
 神田さんは視線に気づくと、トラックを降りた。「今度こちらに入居することになりました、神田と申します」
 そう言って、神田さんは深々と頭を下げた。礼を尽くされれば、応えずにはいられないのがまっとうな大人である。だれも何もいえず、また見なかったことにもできなかった。
 矢作が最初に神田さんと話したのは、神田さんが来てしばらくあとのことで、矢作は自転車の補助輪をはずしたばかりだった。練習中転ぶと、神田さんが家から出てきて自転車を支えた。
「カエルって自転車乗れるの?」
 と、矢作は尋ねた。ぬるりとした手で自転車を触ってほしくなかった。
「さあ。乗ったことないから」
「それでわたしに教えられるの?」
「倒れなければいいんだもの」
 神田さんは夕方まで矢作につきあった。自転車についたぬめりは、しょうがないので拭いた。翌日も神田さんは家から出てきて、矢作におやつをごちそうしたが、大福をカエルの粘液ごと食べる気がせず、矢作は手袋をはめるよう勧めた。矢作と神田さんの密な関係は、一週間後、矢作が補助輪なしで乗れるようになるまで続いた。
 そのころ街に住みついたカエルは神田さんひとりではなかった。カエルたちはどこからともなくやってきて、あちこちの街に入りこみ、やがてどこへいっても二足歩行のカエルを見かけるようになった。かれらは言葉を操り、穏和で礼儀正しかったので、摩擦はあくまで人々の胸に秘められた。
 最初に生じた問題らしい問題は、職の問題である。何しろカエルなので、ハローワークも弱り、
「御社の営業職に応募したいという方がいま窓口に見えているのですが、その、カエルの方でして。年齢は人でいうと三十歳で、御社の募集規定には合うのですが」
「はあ、カエルの……。上の者に相談しませんと」
 そんなやりとりが電話口で交わされ、うやむやのうちに多くの履歴書が破棄された。
 街は職なしのカエルであふれた。活用されないカエルのエネルギーがうずまき、いつでも臨界点に達しそうだった。矢作は学校近くの繁華街で、群衆が行進していくのを見た。カエルを先頭に、人、カエル、人。カエルと人が半々、が、実は全員カエルである。人とカエルのあいだに生まれた子どもは人と見分けがつかないし、成長が早いので矢作が中学生になるまでに何世代も移り変わった。
 カエルが叫ぶ。人とわれわれには、人がいうほどのちがいはない。われわれは人と同じように知能をもち、人と同じように文明的な生活を送ることができる。人は、われわれの体臭と皮膚のぬめりを理由に公共設備の利用を拒むが、少なからず人間からも汚物や化粧の匂いが発せられて、もとより不衛生である。われわれに人と同じ権利を。差別なき採用、残業代、保険医療、年金制度!
 ひとしきり要求を掲げて、カエルたちは解散した。矢作はかれらの中で演説や喝采を聞き、一緒に別れた。途中まで大勢のカエルと連れ立ち、やがてひとりとひとりになった。方向が同じだったのでついていくと、家の前でようやく行き先が分かれた。
「わたしを覚えてる?」
 と、矢作は尋ねた。
 神田さんは振り返り、手を見せた。ビニール手袋の中に、ぬめった水かきがおさまっている。もちろん、神田さんも世代交替が進んでいて、この神田さんを矢作は知らない。けれど、矢作にしてみれば大したちがいではなかったし、
「みたらし団子がありますよ」
 そう言う神田さんにも、大したことではないらしかった。
 神田さんの庭でみたらし団子を食べているあいだ、神田さんははき掃除をした。あくる日も、神田さんは水まんじゅうを用意していて、矢作が食べているあいだ庭を掃いた。いつもおやつがあるのね、というと、
「お得意様だから」
 とのことだった。ともあれ、神田さんはすでに、毎日ちがうおやつを食べるだけの権利をもっていた。
 情勢の変化は電車から始まった。かねて通勤電車にカエルがいるのは不快だという声があがっていたところに、ならば車両を分ければいいというカエル側の反論があり、議論のすえ列車の最後尾にカエル専用車両が設けられた。それを機に、カエルは「カ組」こと全国カエル組合を結成。カエルの人権保護と就職支援に乗りだし、関係省庁への働きかけを怠らなかった。カ組の動きを受けて、カエルを待遇上差別してはならないとする法案が国会に提出され、まずは衆議院を通過した。
 カエルはもともと欧米人のように率直で、日本人のように勤勉である。一度就職してしまえば、かれらがいかに有用か、海千山千の人事担当者ならすぐに察した。カエルは種族的に信用を勝ちとり、社会的地位は向上、いつしか「採用条件……カエル。混血尚可」という逆差別まであらわれた。今やカエルはなくてはならない存在となり、カエルといえば資産家や成金の代名詞、という時代が到来した。
 肯定的な意見が過ぎると、逆の意見を出したくなるのが人情である。そして、制度が整ったからといって、カエルという生き物を不気味がる感情が消えるわけではない。矢作はあるときテレビ欄を眺めていて、いかにも衝撃的な番組名に目を止めた。「独占入手! 宇宙カエル評議会議事録――地球征服のプロローグ」。
 番組によると、カエルたちは宇宙人で、地球の人々をさらってはある手術を施す。番組は、すべてが黒だという判断に基づき、通行人のカエルや「被害者」を取材してはカエルを中傷した。
 人々はカエルが道を行くたびにうわさを口にのぼらせた。信頼して家にあげた一家を、カエルは薬物で眠らせ、宇宙の果てに連れていく。そこでマイクロチップを頭に埋めこみ、かれらの身体を支配してカエルの繁栄のための活動に従事させ、いずれ世界を両生類一色にする。なぜ宇宙の果てまで行かなければいけないかというと、たぶん文学的表現だった。
 うわさは過熱した。突然現れて社会の一ピースにおさまり、それなりの地位を得、着々と繁殖して影響力を増すカエルは、物事にわかりやすさを求める人々にとって、怪しい宇宙人だといえば理解が早かったし、何よりカエルは気味が悪かった。テレビでは週に一回、必ずカエル特番を組んだ。インターネット上のコミュニティではカエルにまつわる眉唾もののうわさが昼夜を問わず飛び交った。子どもが正義と悪に分かれてごっこ遊びをすれば、悪役は人さらいのカエルだった。
 他愛のないうわさ話だと静観していたカ組は、カエルの悪しきイメージが定着しかけているのを知ってマスコミに抗議した。が、それも悪役の根回しとして新たな誹謗の火種となった。カエルの肩をもとうという人々もいたが、自分が槍玉にあげられてはたまらない。やがて、人もカエルも、うわさの鎮静を望む者は沈黙した。
 否定的な意見が過ぎると、また逆の意見を出したくなるのも人情である。あるテレビ番組が、ひとりのカエルにスポットを当て、かれが街に移住して溶けこむまでの苦労、悪いうわさが出回ってからの苦悩を、感情過多に編集して放映した。これにより同情の機運が高まり、地球におけるカエル定住の「開拓者」たるかれらの一側面が強調されはじめた。定着しかけたうわさは、この側面からみて必要以上に悪しきものとされ、激しい拒否反応とともに唾棄された。
 うわさは終息し、カエルに平穏な日々が戻った。が、神田さんはうわさのあとも前も、変わらずはき掃除をし、おやつを支度した。はき掃除の範囲は庭から近所一帯へと広がり、矢作が通りかかると、今日はかりんとうがありますよ、といった。世間であのうわさが一切取りざたされなくなり、矢作が大学生になり、社会人になっても、神田さんは隣の貸家に住んでいた。あいさつをすると、天気の話をした。
 あるとき、矢作は訊いた。
「ねえ、それで実際のところはどうだったの? 本当にチップを埋めこんで操るの?」
「そういうことはできないよ」
「他のことはするの?」
「どうだろう」
 また、こう訊いたこともあった。
「どうしてここに来たの?」
 矢作は重ねて問いかけた。「どこから来たの?」
 神田さんは答えなかった。
 矢作が結婚してこの街を去るときも、神田さんははき掃除をしていた。いつか矢作が家族を失い、ここに帰ったとしても、きっと神田さんはここにいるにちがいない。
 その後、カエルは増えに増えた。うわさが終息して数年後に、カエルの血がわずかでも混ざった家系は、数世代以内にすべてカエルの姿になることが判明した。世代を重ねるうちに、「人と見分けのつかない混血児」が減少したためである。また、カエルの姿をした者同士の結婚ではカエルの子しか産まれない。つまり、カエルと人の交配が続く限り、いずれ人類はカエルになる運命だった。
 今さらカエルを分離しようにも、街を行くカエルが人の血を引くカエルか、カエルの血を引く人か、はたまたじぶんがカエルか人かさえもわかったものではない。ゲリラと非戦闘員の区別がつかないように、カエルと人との境界線は曖昧で、カエルを排斥するためには人も排斥しなければならない。カエルを滅ぼすのであれば、人も滅びなくてはならないのである。
 神田さんはゆるゆると待っていた。はき掃除をし、毎日おやつを用意しながら、待つともいわず待っていた。

Fin.2007.5/19