窓の外は、元通りの喧噪だった。
「よかった。再開してる」
セージは、窓ガラス越しにも届く中庭の騒々しさに安堵して、窓辺を離れる。年に二度しかない楽しい祭を、個人的ないざこざから中断させてしまったのは自分たちだ。もし《ワルツの夕べ》があのまま中止するようなことがあれば、《夕べ》実行委員会や、心待ちにしていた学生たちに申しわけない。
シフルとユリスは、含むところのある顔をつきあわせて、それぞれベッドと椅子に腰かけていた。セージが二人に近寄っていくと、ユリスがうつむきがちだった顔をあげ、尋ねた。
「あのさ、セージ」
言いにくそうに、唇を動かす。「実際のところ、セージはアマンダの《秘密》を知ってるのか?」
「全然、知らないよ。思いあたるふしもない」
予想どおりの問いだったので、セージは即座に返した。
「本気でアマンダが、私は全部知ってるのだと思ってるとしたら、それは妄想だ。だけど、それはつまり、そんな妄想にとらわれるほどに、アマンダが私を恐れているということかもしれない」
彼女は推測を述べる。「だから、知られたくない《秘密》は、間接的にでも私に関係のあることなのか。……いま言えるのは、このくらいだな」
それを受けて、シフルが口を開いた。
「あとはまあ、アマンダはあの野郎がきらいで――」
「そう!」
ユリスが力強く拳を握る。「本当は、俺たちの仲間でいたいにちがいない、ってことだ!」
「ま、そうだと思うけどさ」
シフルは肩をすくめた。「あのさあ、ユリス」
「ん?」
「おまえ、仲間云々はおいといて、さっさと告白したら?」
シフルの提案に、ユリスの熱っぽい表情が、みるみる静かなものになる。シフルは友人の変化に戸惑いながらも、言った。
「アマンダが好きなんだよな? ……うまくいけば、『四人』が崩れても一緒にいられるじゃん」
シフルは下を向き、かすかに頬を紅潮させる。「それにアマンダ、今ごろ……。ユリスはそれでいいのかよ」
「……むりだよ」
もうとっくの昔にあきらめたという風情で、ユリスは答えた。立ちあがり、シフルのいるベッドに腰を下ろすと、そのまま背中から倒れこんだ。眼を閉じて、大いに息を吐きだす。
「アマンダがそんなふうに俺を見てないってこと、知ってるから……言えない」
「そんなの……」
わからない、と続けようとしたらしいシフルを、ユリスは遮った。
「好かれてるかどうかはわかるもんじゃないけどさ、好かれてないかどうか、てのはけっこうわかると思うぜ、俺」
何の期待もない、淡々とした声で彼は語る。「アマンダにとって俺はただの四人の一人で。だから、あの野郎が今アマンダに手を出してるだろうからって、殴りこんだりするのはひとりよがりだ。それに、あの様子じゃあ、アマンダは前しょっちゅうあいつの部屋行ってたみたいだし」
今さらどうこう言ったところで、アマンダは前からああだったんだろ、と言って、ユリスは手で顔を覆った。セージは友人を見やって、賢明な人だ、と思う。あきらめてしまえば、恋愛感情など一過性の熱病にすぎない。己を言い聞かせ、温度を下げつづけていれば、熱病は自然とひいていくもの。ユリスはそれを知っている。
けれど、そうして何かが手に入ることは、きっとないだろう。セージはそう考えながらも、何の助言もしなかった。ユリスもおそらくわかっているからだ。しかし、
「やめろよ、そんな言いかた。悪口いってきらいになろうとしてんのか?」
シフルはまっすぐにいう。「きらわれたわけじゃないんだから、あきらめるなよ!」
こんなときなのに、セージは笑いそうになった。
(シフルって、こういう人だ)
――やっぱり、好きだな。
欲しいものを欲しいと叫ぶ人。うまくいかないときも、できる限りあがきつづける人。子供っぽいといえば、そうなのかもしれない。でも、最終的に何かを手に入れるのは、彼のような人だ。セージは思いだす。そういえば彼は、まだ正体を明かしていないころの展望台で、どんなにセージが黙りこくっていても、根気よく話しかけてきたのだった。呼ばれるたびに、つられて返事をしそうになった。
あきらめない限り、いつか応えてもらえる可能性もある。シフルはきっと、それを知っている。早々にあきらめることを知るのと、どちらがいいだろう。
「きらわれてないけど、好かれてないんだ。もちろん、特別の意味でな」
ユリスはといえば、子供に教え諭すような物言いである。「こっちは特別に好きなのに。いっそ、きらいになりたいよ」
シフルは腑に落ちないようで、ものいいたげに唇を引き結んだ。彼の辞書には、あきらめ、という言葉はないのだ。
「そのうえ……なんかさ。アマンダって」
「なんだよ」
ユリスがためらいがちに言いかけたので、シフルが先を促した。
「シフルのこと、好きそうなんだ」
「は?」
シフルは眉をしかめた。「おまえ、アレックス登場の衝撃で頭止まっただろ」
彼は何ら動じることなく、言い返す。シフルとしては、その可能性をまったく考慮していないらしい。
「ちがう! いくらなんでも、こんなときに冗談なんかいわねーよ」
ユリスが意見するも、
「おいおい、よく考えてみろよ。自分でいうのも悲しいが、オレは女装しても異和感ないぐらいの女顔だ。この眼鏡は、それ隠すためにわざわざ着けてんだよ」
それから、口に出すのもおぞましいと言わんばかりの不愉快げな表情で、
「街に出れば男に声かけられる。汽車に乗っても男に声かけられる。学院では、ストレスのたまった男に言い寄られる。あーもー、思いだすだにおぞましい!」
と、補足する。「寄ってくるのは男ばかりだよ。女の子になんか、好かれたためしなし!」
最後には吐き捨てた。ユリスはシフルの心底いやそうな語り調子に呑まれていたが、セージは冷静に口を挿む。
「でも、私も思いあたることあるよ」
「へ」
「アマンダって、必ず最初にシフルに話を振るの。名前呼ぶときもそう」
セージは無難な証拠をあげてみた。より確実な心あたりとして、つい最近あったことを述べることもできたが、それは自分にとって不都合である。先日、《ワルツの夕べ》の話題になり、シフルが逃げるように場をあとにした際の話だ。セージがシフルへの好意を打ち明けると、アマンダは複雑な顔をした。彼女の《秘密》が本当にセージに関係のある事柄ならば、あのときほどしっくりくる状況は他にない。
しかし、むろんセージには、あのときの話題をするつもりは毛頭なかった。よって、覚えているほうがおかしいぐらいの、些細な証拠となる。
「そんな順番に、意味なんかないだろ?」
「シフルはそうでも、アマンダはそうとは限らない」
セージはきっぱりと言う。「まあ、だからといって、恋愛感情にまでなるかどうかはわからないけどね。少なくとも、アマンダにとってシフルの印象は強いってことだ」
シフルは返答に詰まり、考えあぐねいた。やがてあきらめたように両手をあげると、
「……そりゃ、筋は通ってるさ。認めるよ」
と、ぼやく。「でも、論点がずれてると思うね」
「ずらしたのはシフルでしょ、忘れたの?」
セージは好意をもつ相手でも容赦しない。シフルはいよいよ答えに窮し、頬を膨らませて黙りこくった。
「――まあ、アマンダの想い人の推測は、時間のムダだからいいとして。もうあとは、アマンダの出かたを見守るしかないだろうね」
アマンダ抜きでは、どんなに議論しても詮ない。「『仲間』といったって、必要以上の干渉は好ましくない」
「俺も同感」
ユリスは力なく賛同する。
「……オレも。だけど――」
シフルは二人に同意したが、冴えない顔でつぶやきをもらす。「――このまま、春休みに入っちゃうんだなあ」
春休み、アマンダもユリスも帰郷する。
春休み、シフルとセージは学院に残るけれど、休みが終われば、二人に再会することなく、ラージャスタン行きの汽車に乗りこまなければならない。
留学は最低でも一年だという。一年間は、何か事件がない限り、二人に会えないのだ。それなのに、けんかしたまま別れなければならないとは。
「二人とも、がんばれよな」
と、ユリスが微笑んだ。「俺も、二人が帰ってきたときには、何か成果だしたいと思うよ」
「……アマンダのことは?」
シフルはぽつりと訊く。
ユリスは苦笑して、わからない、とだけ言った。
*
シフルたちは、わだかまりを抱えたまま春休みを迎えた。
帰省する学生たちは、実家の遠い順に汽車に乗りこんでいく。ベルファスト出身のユリスは、初日の今日、帰っていった。ミドルスブラ出身のアマンダも、たぶん帰ったのだろう。たぶん、というのは、あれ以来アマンダの姿を見ていないからだ。《ワルツの夕べ》の夜、アマンダはセージとの相部屋には戻ってこなかったし、帰省の荷物も、どうやらセージが留守の隙に運びだしたらしい。
「ラージャスタン土産、楽しみにしてるからな。忘れるなよ?」
汽車の窓から身を乗りだして、ユリスはちゃめっ気たっぷりに笑った。「気が向いたら、手紙書けよな。俺にも、……アマンダにもさ」
取り残される寂しさを、ユリスは隠さなかった。なにせ、アマンダとの関係が揺らいだままだというのに、四人のうち二人が去っていき、ユリスはその彼女と二人おいていかれるのだ。シフルはユリスの心持ちを推し量ると胸が痛かった。だからといって、留学を決めたことに後悔はなかったけれど。
「――元気で!」
ユリスは窓の中で大きく手を振った。シフルとセージも、ホームの端まで汽車を追い、友人に応える。グレナディン駅のホームの端で、煙を吐きだしながら走り去っていく汽車を見送り、シフルとセージはため息をついた。次にユリスを見るのはいつになるだろう。
駅を出ながら、
「留学楽しみだけど、やっぱちょっと淋しいな。こういうの」
と、シフルは言った。
「本当にね」
セージはうなずいて、それからわずかに笑顔をみせる。「でも、私たち、一年かそこら留学するだけだよ? 死出の旅にでるわけじゃないんだから、そんなに暗くなっても仕方がない」
「そりゃそうだ」
シフルも笑った。死出の旅、といういいまわしに内心どきりとしたものの、口にはしなかった。
プリエスカの永遠の仮想敵国――ラージャスタンへ、シフルたちはでかけるのである。さすがのシフルも、特別カリキュラムの授業のたびに何度もすりこまれれば、かの国が怖くなってきた。しかも、それだけではない。ラーガや時姫(ときのひめ)、シフルの父リシュリュー・ダナンもまた、ラージャスタンを警戒している。ただ人ではない彼らがいうところに、恐ろしさがあった。
「むこうでのことが心配?」
セージは笑いながら問う。彼女がまったく平気そうなので、シフルは決まり悪く、
「そりゃね。なんたって、ラージャスタンだし」
と、弁解するように答えた。すると、
「大丈夫」
セージは自信満々で自分の胸を叩いた。「シフルのことは、私が守るもの」
「はあ?」
シフルは思わず唇を歪める。「それ、立場逆だろ。守るとかなんとかいうんなら、オレがセージを守るんだよ」
「自分より身長の低い人に守ってもらおうだなんて、考えてないよ」
セージは何のためらいもなく言い切った。むっとした少年が、セージをにらみ返すと、確かに彼女の顔の位置が若干高い。そういえば、《ワルツの夕べ》で女装と男装をしたとき、シフルはセージのワンピースがちょうどいい大きさだったし、セージはセージでシフルの制服を問題なく着こなしていた。これまであまり考えたことがなかったけれど、その事実を突きつけられてみると、わけもなく落ちこんでくる。
沈む少年の肩を、セージがぽんぽんと叩いた。
「まあまあ、留学中に成長期がくるかもよ」
「……もうすぐ十七になろうとしてるのに成長期かよ」
「あるある。平気平気」
自分で加えた打撃のくせに、セージはフォローする。そのうちどうでもよくなってきて、シフルは顔をあげた。
「じゃ、行くか」
「どこに?」
セージが首を傾げる。
「《母》に会いに行く。セージも一緒にくるよな」
春休みは、約束のとき。シフルはようやく、記憶の中のあの女――ビーチェに再会する。
「本当にいいの? だってお母さんとの対面でしょう?」
「セージを連れていきたいと思うから」
シフルは有無をいわさず、セージの手をとった。そのまま彼女の手を引いて駅を離れると、学院には戻らず、グレナディンの市街地に入っていく。商店街のにぎやかな通りの陰に、裏通りへと続く小路をみつけ、そこに滑りこんだ。セージは導かれるまま少年についてきた。
建物と建物の隙間にある小路のなかは、日当たりが悪く、湿っている。目抜き通りは春を間近にして、うららかな日差しが惜しみなくあふれているというのに、小路は陰気だった。そこに一歩入ると、誰もいない。シフルはこの場所に決めた。そして、
「ラーガ」
彼に属する妖精を、召喚する。
(クーヴェル・ラーガ)
胸のうちでつぶやいたのは、妖精の真名だ。この名前であれば、妖精はどこにいても聞きつけて、主のもとに現れるという。
「約束の日だろ、ラーガ」
再びその名を口にすると、目の前の影が歪み、そこから青い頭が迫りだしてきた。
「そうだ」
青い瞳を細めて、ラーガはおもむろに手を差しのべる。「時姫(ときのひめ)さまがお待ちかねだぞ――メルシフル」
その手を、シフルは握った。ラーガが握り返し、三人はひとつなぎになった。ラーガが、その女も連れていくのか、と尋ねたので、シフルはうなずく。セージの顔を見ると、まだきょとんとしていたものの、普段は農家出身とは思えないほど白く見える彼女の頬が、今日は少しだけ上気していた。
「では、行こう」
ラーガは告げて、影のなかに手足を溶けこませる。
シフルとセージもまた、眼を閉じ、自分たちを呑みこんでいく闇に身をまかせた。
