間近に、気になる女の子の顔がある。
ユリスは、以前にもこの光景を勝ち得たことがあった。前回の《ワルツの夕べ》である。あのときは、たった一曲踊っただけで他の男子学生にかっさらわれてしまったのだけれど、それでもうれしかった。あまり長くあの状況におかれれば、徐々に緊張の度合いが高まっていくのだろうし、何といっても最初に彼女に手をとってもらえたのだ、満足しないはずがない。
今も、あのときと同じ状況にある。ユリスが懸命に彼女をリードしてワルツを踊り、ときおり目が合えば互いに微笑むという、このうえない幸せ気分。彼女の極上の笑みを目にしているのは、今この時間、空間でユリスのみ。しかし、それにもかかわらず、ユリスを満たしているのは幸福感ではなく、空虚感だった。
なぜ、と問われれば、彼は即答できる。彼女はここにいて、ここにいないからだ。
何を考えているの、と訊いてみても、おそらく答えてはくれないだろう。それはたぶん――秘密なのだ。ユリスたち四人が友達になるきっかけとして告白しあった秘密。彼女が、ないから教えられない、もしできたら最初に教える、といった秘密。……秘密は秘密であり、口にできないものなのだ。
(彼女がないって言ったのは、口にできる秘密のことだったんだ。……でも、それなのに実は秘密があったからって、アマンダを責められない。俺だって、シフルやセージだって、あれ以外の秘密も持ってる)
ユリスはそう思う。言い聞かせる。さもなければ、彼女はいなくなってしまうかもしれない。たとえ永久に報われないとしても、ユリスにはそれは耐えられそうになかった。
「ユリス?」
アマンダが、明るい水色の瞳でみつめてくる。ユリスは反射的にどぎまぎしたあとで、わびしくなった。しょせん彼女にとっては、自分など祭のお供でしかないのに。
ふいに、足が止まる。アマンダが立ち止まったのだ。
「どうし――」
言いかけて、ユリスは唇を閉ざした。
立ち尽くすアマンダの視線の先に、余った男子の群れからひとり抜けだしてきた、ひときわ背の高い学生の姿がある。そもそも背の高さからして気にくわないが、金髪や女の子受けしそうな容貌といい、単独でワルツに乱入する度胸といい、ユリスにはとことん苦手な部類の人間だった。
アマンダはユリスから体を離すと、改めて男を見る。とたんに晴れやかなまなざしは曇り、底抜けの明るさは消え、そこはかとなくけだるい空気を帯びた。それを見ているユリスの直感が、二人の関係を明瞭に告げる。きっと推測はまちがっていない。
「よお、アマンダ。久しぶり」
金髪男は笑みを浮かべる。この笑顔を軽薄に感じるのは、自分の苦手意識のせいだろうか。
「次の曲、相手してくれよ」
「本当、久しぶり」
アマンダはかすかに口の端をあげた。歪めた、といったほうが近い。それにしても、彼女の声はこんなに低かっただろうか?
「無期停学じゃなかったの?」
「もう半年だ。お許しも出るだろ」
「……あの、誰?」
ユリスはやっとのことで尋ねる。彼女は不愉快そうにため息をついた。男が不愉快なのか、ユリスが不愉快なのか。あるいは、知られたくないのか。男に、ユリス――というよりシフルやセージ――に、もしくは両方に。
「アレックス」
アマンダは吐き捨てるように言った。「前の彼なの。二股かけられた」
「二股だって?」
ユリスはアマンダの言葉にも息を呑んだが、急に男が顔色を変えたことにもっと驚いた。「そんなの、別れる理由じゃなかっただろ! というよりむしろ――」
周囲が異変に気づき、ざわめきだす。
「やめて!」
アマンダは癇癪じみた声で男を制止する。「――いいよ、パートナーいないんでしょ? 相手してあげるよ」
ごめんねユリス、むこうで待っててくれる? そう告げた彼女の微笑みが、あまりにも普段どおりの愛らしさだったので、ユリスは却って不安をかきたてられた。彼女はもう、あらゆる意味で戻ってこないのかもしれない。出会って、出会った幸運に喜んで、少し近づいて喜んで、そうした些細なことをゆっくりと噛みしめているうちに、アマンダは何を恐れてか去っていく。
それとも最初から、自分やシフルたちと一緒にいるつもりはなかったのか? だけど、それならセージの話を聞いたときのあの複雑な表情は? ワルツを踊りながら、うわの空だったのは、いったい、なぜ?
(知りたい)
でも、それが彼女の《秘密》なら。(知りたいのに)
嘘を責めることも、秘密を追及することも言い当ててみせることも、ユリスにはできない。彼女はすでにあの男のもとへ去ってしまったのに、なおユリスは彼女の離れていくことが怖かった。
アレックスという男の手をとり、歩き去るアマンダの背中は、ユリスには知らない人のものとしか思われなかった。それほどに冷ややかで、その影もどことなくかすむようで、いつもの彼女とはかけ離れていて、そして、対照的なまでに普段のアマンダはあたたかくかわいらしくて――だから、全部が全部、秘密にしていたというよりは、嘘といったほうがきっと正しいのだ。
(また、シフルとセージが来たらいいのに)
そうすれば、前回の《ワルツの夕べ》と同様、流れが変わるにちがいない――好ましいものであれ、好ましくないものであれ。ユリスは、友人をあてにせずにはいられない己の腑甲斐なさに歯噛みしたが、動けなかった。彼の足は重く、鈍かった。ただ静かに、喧噪のなかへ埋もれていく自分を感じていた。
扉を開けると、中庭の光景が目に飛びこんできた。
《彼女》は信じたくない思いで、顔をのぞかせる。そこにいるのは、数多の人、人、人。顔見知りも多い、理学院の学生たちだ。そこに《彼女》は、今から突入しなければならない。覚えず扉をつかむ手に力をこめて、苦笑する。何かの冗談だったらどんなにいいか。いや、何かの冗談には他ならないのだが、冗談を本気で実行しようとしているのが目下の状況である。
「……やっぱイヤだな……」
「何を今さら」
かたわらの《彼》はにやりと笑う。「さあ、行こう。ちょうど今の曲も終わったみたいだし」
「……冗談だろ?」
「そう、冗談だよ。で、祭にこの手の冗談は必須!」
《彼》が強引に《彼女》の手を引いた。うわ、と悲鳴に近い声をあげて、《彼女》は中庭へと転がり出る。《彼女》のからだが傾き、銀の長い髪がさらりと落ちた。視界の端を占めた銀色に、《彼女》はますます逃げだしたくなる。
「わ、わ、わ。ま、待てよ」
「さー、こっちこっち。さっさとしないと、曲が始まっちゃうよ」
《彼女》にかまわず《彼》が進むので、《彼女》は引っぱられるかっこうになった。《彼女》がなんとか体勢を立て直し、邪魔くさい髪を払いのけたとき、《彼女》は硬直した。そこは、モミの大木のすぐそば、伴奏を担当する楽団の真ん前。すなわち、中庭のど真ん中なのだった。彼らふたりは、場の中心に躍り出たかたちになる。
中庭がどよめいた。
「誰だ、あれ。見ない顔だな」
「片方はセージ・ロズウェルだろ? 男役」
みな、口々にふたりの噂をしている。「で、もう片方は?」
「なんか、すっげーかわいくない?」
《彼女》は頬をひきつらせた。
「あんな子いたっけ?」
「でも、どっかで見たような――」
《彼女》はこめかみを痙攣させた。
横目に《彼》を見る。《彼》は《彼女》と目が合うと、ほくそ笑んだ。
「ふふっ、やっぱりね」
おかしくてたまらないという様子の《彼》だった。「評判いいじゃない、眼鏡をとったシフルは」
「――セェェェジ」
シフルは恨めしげにセージをにらみつけた。「眼鏡をとったとかいう問題じゃないだろー!」
「ふふ、そうだね」
「……オレにはわかんないなあ、セージ!」
シフルは涙も流さんばかりに、歯ぎしりする。「わざわざ人を女装させて! 自分の髪までブチ切って! そこまでする必要ある祭なのかなあこれはー!」
少年の不平に、少女はにっこりと微笑み、
「いいじゃない、減るもんでもなし」
と、言い放った。ついさっきまでひとつに結わえられていた彼女の髪はもうなく、今は耳の少し下で大雑把に切り揃えられたおかっぱ髪が揺れている。この突発的な散髪、誰かに強いられたわけでも何でもない。彼女が自分でハサミを入れただけの話である。悪い冗談を実現する、ただそれだけのために。ついでにいえば、服は先ほどの赤いワンピースではなく、シフルの制服だった。
それに強制的につきあわされたシフルはといえば、度のない眼鏡をはずし、セージのワンピースを着用して、さらには長い銀髪のカツラをかぶっている。認めたくない事実だが、ひと言でいえば女装だ。「仮にシフルが女の子でセージが男だったら《ワルツの夕べ》に出てもいい」という戯れ言は、こうして実現したのである。
その準備の様子はこうだった。
まず、眼鏡を奪われた。少年が呆気にとられている隙に、セージは手ばやくワンピースをかぶせ、制服を剥ぎとり、アクセサリーで飾りたてた。シフルの短髪にワンピースはいまいち貧相さがあったものの、それでもなんとか許容範囲の仕上がりだった。少年の容貌はたいそう少女めいていた。
セージは一応それで満足したが、そこに第三者の助けがあった。廊下に出ようとしたとき、足もとになぜか銀髪のカツラが置いてあったのだ。おあつらえむきとしかいいようのないカツラの登場に、シフルは特定の人物の意図をひしひしと感じたが、セージはひたすら喜んだ。シフルにそれを装着させ、完全な「女の子」に仕立てあげた。
シフルの準備が整うと、セージは自身に不足を覚えたらしい。シフルのものである男子の制服を着ていても、髪は女らしい長さなのだ。いきなりハサミをとりだした彼女は、シフルが本格的なんだし、私もやろうっと、という軽いつぶやきとともに、少年の制止も無視して、長い髪を切り落とした。これで、晴れてセージも完璧な支度をすませたわけである。
そして今、彼らふたりは中庭にいる。
シフルは女の子そのもののかっこうで、セージは男になろうというかっこうで。
その場にいる学生のほとんどが、見知らぬ「少女」と、悪ふざけの過ぎるセージ・ロズウェルに視線を注いでおり、パートナー争奪合戦すら一時中断していた。
「……」
シフルは、穴があったら入りたかった。耳を澄ますと、何人かの知りあいがシフルに気づいているのがわかった。はっきりいって、ヘタさで目立つよりよっぽど恥ずかしい。
しかし、シフルは観念した。ここまでやったからには、いきなり逃げだせば却って不自然。この際、気づいていない学生には、見覚えのない女学生と思われたほうがいい。メルシフル・ダナンが女装している、と知られるほうが問題だ。
(あー、もう)
シフルは背筋を伸ばし、セージと向かいあった。(――まったく……、セージってこんなやつだったっけ?)
「踊ろ!」
セージが言うと、それに反応したかのタイミングで、指揮棒があがった。
(自分は男装して人には女装させて、思わず足を止めたみんなの前にさっそうと立って、いたずらっぽく笑って――)
曲が始まる。――彼らの《ワルツの夕べ》のはじまり。
シフルは、可憐な仕種で手を差しのべた。セージは少年がこの冗談に便乗しようとしているのを知り、噴きだしたあと、男性役を意識した身ぶりでひざまずく。それから、少年の手の甲にやわらかな唇の感触を落とした。多くのカップルが、ワルツの前に行う儀式だ。
(なーんちゃって、なーんちゃって!)
自分でやっておいて、シフルはどうにもこうにも乗りきれない。思いきり赤面する。
「さて、行くよシフル」
「う……うん」
ふたりはワルツの姿勢をとった。
「大丈夫。私がついてる」
セージは力強い笑みを見せた。「一・二・三・一・二・三で出るからね。よし、一・二・三、一・二・三――」
セージは踏みだした。
(ちがう。セージじゃない)
シフルは彼女のリードに引っ張られ、正確なタイミングで足を動かす。ワルツの音楽にともなって、足がステップを踏んでいる。シフルはちらりと足もとを確認して、密かに感激した。足が曲の最中に止まらない。曲に乗っている。彼には初めてのことだった。天才とは、周囲の鈍さを補える力があるのか。
(オレの知ってるセージは、堅物の天才。いけすかない《鏡の女》。動かない表情と、孤高の精神。ぴんと伸びた背筋――)
シフルはセージの顔をしげしげとみつめた。その頬は上気し、黒い瞳はランプの明かりを映してきらきらと輝いている。ワルツの男役を務め、巧みにシフルをリードして回転するセージは、明るい表情をしていて、こんな冗談を平然とやらかす少女だった。
(――今ここにいるセージは、オレの知ってたセージじゃない)
と、シフルはひとりごちる。(……けど)
ふいに、ふたりの視線が交差した。
セージの顔が自然と笑みになった。シフルもつられて笑った。
彼女が腕をあげたので、シフルはそこをくぐる。少年も忠実に女役をこなし、赤いワンピースのスカートを愛らしく翻した。回ってみたあとで耐えられなくなり、シフルはつい声にして笑いだす。セージも笑い声で応えた。
見物している多くの学生には、なぜふたりが笑っているのか理解できない。一部の学生は赤いワンピースの少女の正体に気づいていて、いたるところで噴きだしていた。シフルを知る者から知らない者へと情報が伝達するにつれ、笑いが拡大していく。気づくと、シフルとセージのまわりは、おもしろがって手を叩く者、笑い転げる者――ルッツもその一人だった――、口笛を吹く者などに満たされていた。
そのころには、シフルも祭の浮かれ気分に染まり、恥を捨てきっている。調子にのった少年がスカートをつまみ、少女らしくくるりと回るたび、男子学生の野太い声があがった。
――楽しい。
シフルはときおりセージと目配せしあう。
――セージとこうしているのは、すごく楽しい!
目を合わせれば、互いににっこりと笑う。
セージの「本当のこと」が、自分の信じていたセージじゃなくても、こうして楽しければ何でもいいとシフルは思った。確かに、シフルが背中を追いかける相手としてのセージは、もういなくなってしまったかもしれない。けれど今度は、一緒にどこかをめざしたらいいのだ。セージがかつて親友だった「オコーネル」とそうしたように。
(オレならできる)
シフルは確信していた。(オレなら、セージと一緒にどこまでも行ける)
それはラーガのおかげであって、本来の自分の力など微々たるものだ。とはいえ、現実にシフルはその力を保持しているのだし、ほぼ思うままに力を使うことができる。シフルはセージの才を恐れているかもしれないが、それよりもセージと一緒にいたいという気持ちが強い。
「セージ」
シフルは踊る足を休めることなく、彼女に話しかけた。「楽しいな」
「うん、私も」
セージはからりと笑う。「そのカツラをくれた人にも、お礼いわなきゃね」
「セージが直接言えばいいよ」
「いいの?」
彼女の問いかけに、シフルはうなずく。「へえ、楽しみだな。約束できる?」
「できる」
それはうれしいな、と彼女は目を細めた。
ふたりは踊りつづけ、《ワルツの夕べ》に笑いを添えた。シフルはその間、一度もセージの足を踏まなかった。ひたすらにワルツに興じ、立ち止まることも知らなかった。
アマンダは、巻き起こる笑い声を遠くで聞いた。
「なんだろ。むこう、随分にぎやかみたい」
ドレスをひらひらさせながら、彼女はひとり言のふうでいう。が、
「なんだっていいだろ」
パートナーたる男はにべもない。「それよりさっきのやつ……」
アマンダは嘆息した。この男は、基本的に自分の話をするだけで、人の話にまともに応じたことがない。つきあっていたころ、最初は好きだと感じていたはずなのに、すぐに冷めた。それは、男のあたたかみのない性格にいやけが差したことと、もうひとつ、そもそもその「好き」が錯覚だったからだ。
もちろん、恋などある種の錯覚にすぎない。けれど、あれは錯覚中の錯覚とでもいおうか、とにかく勘ちがいと思いこみの重複だった。つまり、決して好きではなかったのだ。
「ユリシーズ・ペレドゥイ、友達よ。それが?」
アマンダは冷ややかな声で返す。
「今おまえ、男いないのか」
「まあね」
この流れは好ましくない、と彼女は思った。とっさに男――アレックスの腕を振り払い、からだを離す。
「惚れてる男は?」
「さあ?」
アマンダは挑戦的に男をにらむ。「……何が言いたいの? はっきり言って」
「やりなおそうぜ、アマンダ」
「いや」
彼女は即答した。
「――なんだと」
「死んでもいやよ。――あッ」
アレックスがいきなり彼女の腕をつかんだ。「痛い、離して! だって私、アレックス好きじゃないもの」
「ふん、そんなこと言っていいのか」
男は不敵に口角をあげる。「逆らうなら、おまえの友達とやらに、おまえの性癖教えてやらないとな!」
「――」
男の声は充分に大きかった。周囲はすでにアマンダたち二人のいさかいに驚き、踊りをやめている。口論する二人を遠巻きに、好奇のまなざしを向けてきた。
《ワルツの夕べ》会場の一角で起こった騒ぎに、ダンスを楽しんでいたシフルとセージも足を止める。
「……アマンダ?」
まずセージが、痴話げんかを繰り広げるカップルの片割れが友人であることに気づいた。
「え?」
言われて、シフルもそちらに目をやる。確かにアマンダがいた。一緒にいるのはユリスではないが、どうせ例によって彼は争奪戦に負けたのだろう、それは何ら不思議ではない。問題は、相手の男が激しい剣幕でアマンダに詰め寄っており、彼女のほうがそれを全身で拒んでいる点である。
「――アマンダっ!」
シフルは走りだす。
セージはといえば、少年を冷静に見送ってから、おもむろに歩きだした。
彼女の冷静さには理由がある。セージはその時点で、友人のルール違反を察していた。農家生まれのせいか、極めて良好な視力と聴力をもつ彼女は、多少の距離を隔てても、アマンダらのいさかう声が聞きとれた。その内容を考慮するに、アマンダには「友達に知られたくない」性癖がある。すなわち、セージたちにはいえない《秘密》があるのだ。
彼女はあのとき、秘密がない、と告げた。それでも仲間はずれにはしないでほしい、と。
(アマンダには、口にできる秘密がなかった)
セージは目を伏せる。(口に出せない秘密を、口に出さなかった。そのうえで、あんなふうに振るまった)
彼女の純粋そうな仕種に、すっかり騙されていたのだ。
(ばかばかしい)
セージは歩いてシフルの背を追いかけながら、内心毒づいた。(何が仲間だか。自分がいちばん信用してないのに)
「――おいこら!」
そんなことは一切考えず、シフルは二人のあいだに割りこんだ。「アマンダを離せよ。いやがってんだろ? なんだか知らないが、話なら穏便にやれ。暴力はオレが許さん!」
「えっ?」
とつぜん割って入ってきた「少女」に、アマンダは眼をまたたかせた。名前を呼ぶからには知りあいなのだろうが、いかんせん見覚えのない女の子だ、とばかりみつめてくる彼女に、シフルは頬を赤らめる。しばし彼を凝視していたアマンダは、数秒を経てようやく思いあたったらしく噴きだした。
笑いたきゃ笑えよ、と自暴自棄のシフルだったが、対する男は「少女」の正体を理解していない模様である。アマンダを解放し、シフルのほうに愛想よく向き直ると、ねえ、と好青年風の笑みをつくった。
「君……アマンダの友達なわけ?」
男は背が高い。小柄なシフルは、完全に見下ろされている。しかし少年は強気を保ち、
「ああ!」
と、攻撃的に応じた。すると、男は言う。
「アマンダの秘密……知りたくない?」
「……なに?」
シフルは男をまっすぐに見返した。そこに、アマンダが入りこむ。
「ちょっと!」
アマンダはすでに笑いやんでおり、自ら男の腕を抱いた。「アレックス。シフルによけいなこと言わないで。私たち……やりなおすのよ」
なんならこれから部屋に行く、とまでアマンダは告げる。
そこで、さすがのシフルも気づいた。アマンダがいったい何のために、そうした行動を余儀なくされているのか。
先日のアマンダの言葉と、今のアレックスの言動を照らしあわせる。あのとき、ただひとり秘密を暴露「できなかった」彼女。ところが、アレックスいわく、彼女はある《秘密》を抱えているという。
もちろん、あれは強制ではなかった。同等になりたいと願う者が、本人の意思で告白すればよかった。よって、言わなかったことについては、アマンダを責められない。問題はアマンダが、あるものを、ない、と主張したことだ。その偽りの主張と、いつか秘密ができたら教えるという約束により、かりそめであったにせよ、彼女はシフルたち三人と仲間意識をもった。
「アマンダ、それ本気?」
少年は毅然と彼女に向きあう。「いやなんじゃないのか」
「どうして? いやじゃないよー、全然」
シフルとの会話になると、とたんに声色が普段の甘さを取り戻した。アレックスに対する低い声とは、まるでちがう。「……いやじゃない」
「さっき、死んでもいやとか言ってたのは?」
追いついてきたセージが、横から口を挿む。「……それは、アマンダの《秘密》のため?」
「オレたちに知られたくないから言うこと聞くのか?」
シフルはたたみかけた。「あのときの約束はどうするんだ? この期に及んで、まだオレたちに隠すのか?」
強制していいことではないと、わかっている。しかし、気持ちがおさまらなかった。あのとき、あんなにもうれしかったのに。セージが同等になりたいと言ってくれて、ユリスもアマンダも歩み寄ろうとしてくれたことが、シフルにはとてもうれしかったのに。それなのに、今さら嘘だったというのか。
シフルのなかには今、冷酷さと悲しさが同居している。誓いも約束も無碍にしようとする彼女を切り捨てたい気持ちと、それを惜しむ気持ち。友達になれる四人だと思っていた。
「アマンダ、私たちは特殊な関係なんだよ」
と、セージが言った。「一度は反目しあい、まともに口もきかなかった私たちが、仲間になったのはなぜ? ――それは、秘密の共有によるもの。その大前提を忘れたとはいわせない」
シフルとユリスは、弾かれたようにセージを見る。
「ルールを守らないアマンダが、私たちと一緒にいるのは――おかしい」
「ふざけるなよ、セージ!」
ユリスが叫び、セージの肩をつかむ。「はじまりなんて、どうでもいいことだ。アマンダはもう仲間なんだ。今になって仲間からはずすなんて!」
「何度も言わせるな」
セージは冷ややかにユリスの手を払いのけた。「大前提、といっただろう。私たちが仲間意識をもったのはなぜか? 秘密を告白しあい、同等になる、というルールがなければ、私たちは口も聞かなかったか、もしくはいつまでも互いに壁をつくったままだった。いうなれば、あれは私たちの最大の原則なんだ。今になって捨てられることなんかあるか? それに、」
彼女はユリスを鋭くにらみつける。セージの口調は、いつのまにか《セージ・ロズウェル》の口調そのものになっていた。「――一方的に弱みを握られている仲間なんて、あるものか!」
「二人ともやめろよ」
セージが徐々に激してきたので、シフルは却って冷静になっていた。「今からでも遅くない。アマンダが約束を守ってくれれば何の問題もないんだ」
少年はそう言うと、アマンダをじっとみつめた。彼女はわずかにうつむいており、その表情の影は濃い。
「アマンダ……、頼むから言ってほしい」
シフルは切々と乞う。「そうでなくちゃ、オレたち一緒にいられない」
その発言に、あわてたのはユリスである。
「シフル、おまえもアマンダをはずす気なのか?」
「セージの言ったことの繰り返しだ。『大前提』なんだ」
シフルは淡々と答える。
「もともと、オレたちのは無償の絆じゃなかった。『仲間』が不公平なのは、まちがってる。そりゃ、有償の絆なんてのもまちがってるかもしれないけど」
少年は最後に付け足した。「オレはそれは信じたくないから。だから、言ってほしいんだ。アマンダ」
言い終えて、周囲を見渡すと、《ワルツの夕べ》は完全に中断してしまっていた。曲はやみ、誰もが足を止めて、痴話げんかのなりゆきを見守っている。アマンダの大人気ぶりや男の見てくれのよさを考えれば、彼らはもしかすると、学院内では有名なカップルだったのかもしれない。
イベントを停止させてしまったことを申しわけなく思いつつ、シフルは固唾を呑んでアマンダの出方を待った。アマンダは何を選ぶのだろう。仲間を選ぶのか、男を選ぶのか――すなわち黙秘を。
アマンダの靴が、カツ、という音をたてた。
彼女は彼の腕をとる。
「……行こう」
彼の名はアレックス。背の高い、アマンダの元恋人らしい金髪の男。
アマンダはもはやシフルたちを振り返らず、足早にその場を去ろうとした。
「それが、答えなの?」
セージが問いかける。
アマンダの靴音がやんだ。彼女はセージのほうを見ずにつぶやく。
「本当はセージ、全部わかってるんでしょ」
その言葉に、セージは眉をひそめた。「私が何を知られたくなかったかなんて、何を恐れていたかなんて――」
セージは《鏡》なんだもの、と、ぽつりと言う。
「私の心も、きっと、映す。ちがう?」
その声はだんだんとすぼまっていき、最後には聞こえなくなった。「――ちがわないでしょう……?」
