「俺も混ぜてもらえる?」
昼食どき、ルッツ・ドロテーアがそう言って近寄ってきた。
芝生の上で輪になって食事をとっていた三人のうち、首を縦に振ったのはシフルひとり。ユリスは露骨にいやな顔をし、アマンダは微妙な顔をした。
ルッツが精霊召喚において天才肌ということもあるけれど、彼が先日ユリスに対し、歯に衣着せぬ言葉を吐いたことが大半の原因だ。シフルは別にかまわなかったが、傷ついたユリスの手前、歓迎するのはためらわれた。
が、ルッツは、シフルの承諾しか見ていない。その他の反応は、まるっきり無視である。
「俺の予想は当たったね。シフルはやっぱりおもしろい」
と、ルッツはしたり顔で告げた。先日、これまで信じられてきた法則のまちがいを暴き、学説を覆したことをいっているらしい。
「言うと思った」
シフルは答えて、カップのコーヒーを飲む。こちらをにらんでいるユリスと目が合ったので、ごめん、と念じておいた。アマンダが察して、ユリスに何げない話題を振る。二人は二人で会話しはじめた。
シフルは話を続ける。
「でもあんなの、何にもならないじゃん。おもしろいからって、ロズウェルに勝てるわけじゃなし。《若人》役もらえるわけでもない」
あの件があってからもう何日も経過しているが、教授たちは何もいってこない。だから、おそらく大したことではなかったのだろう、とシフルは踏んでいる。例えば、予算の都合がつかず、長年古い教科書が使われていて、ヤスル教授は若さゆえにそのまちがえた教科書の記述をうっかり信じこんでおり、他の教授はとうの昔に知っていたとか、そんなところだ。
「一般的な話をするなら、それでもシフルはなかなかだよ。俺は普通にできたからあえてすごいとはいわないけど、二度めの実習で六級精霊の召喚に成功するなんてめったにない。今のAクラスなら、俺とロズウェルぐらいだったかな。ヤスル教授に期待株だって言われたろう?」
ルッツは微笑を浮かべながら、どういうつもりなのか知らないが、彼なりにシフルを褒めてきた。
「時間なんて関係ないじゃん。カウニッツもそんな感じのこと言ってたぜ」
「いや、時間は関係あるよ」
ルッツは布袋から麦芽パンのサンドイッチをとりだした。中にマヨネーズがこれでもかと塗られていて、今にもこぼれそうだ。
「本当に才能があるなら、時間は全然いらない」
彼はサンドイッチにかぶりついた。案の定マヨネーズがこぼれ、制服に落ちて白い染みをつくった。アマンダは、ユリスとしゃべりつつもこちらに注意を払っていたようで、ハンカチをとりだす。わだかまりがあっても気づかいは忘れないらしい。さしものルッツも、ありがとう、と礼をいった。
「……で?」
それじゃあカウニッツのは本当の才能じゃないとでも言うんだろうか、と苦々しく思いながら、シフルは続きを促す。ルッツはうなずき、こうつぶやいた。
「やっぱりね、君を見ていると、からだが震えるんだよ」
「あー」
(前にもそう言ってたな)
「震えてるのは俺なのか、俺のまわりにいる風(シータ)なのかわからないんだけどね、」
ルッツはサンドイッチをコーヒーで流しこんだ。「君はただ者じゃない。簡単に学説を覆してみせた君を見て、まちがいないと俺は思った」
「ふーん」
シフルは曖昧にうなずいた。そうは言われても、「どういう方面に」ただ者じゃないのか、という問題がある。何度いわれても、喜ぶ気にはなれなかった。少なくとも、学説を覆したことに何か重大な意味があると判明するか、易々と上級精霊を召喚するのに成功するか――夢のような話が現実になりでもしない限り、ルッツのいう「ただ者ではない」ことなど喜べやしない。
そのとき、
「で、何のために俺らの昼飯ジャマしにくるわけ?」
ユリスが口を挿んだ。
ルッツは彼のほうを見もせずに答える。
「俺はシフルの正体を見極めたい。もちろん君たち二人には興味ないから、安心してくれていいよ」
言い切ってから、ユリスとアマンダに振り向き、花のような笑顔をつくる。
一度ばかりか二度までも、正面きって悪意にしかとれない皮肉を言われ、二人は蒼白になって硬直した。シフルは即座に、
「言葉と相手は選べって教えただろ? ルッツ」
と言い返して、ユリスたちにかける言葉を探した。けれど、うまい言葉がみつからない。こんなときは、何をいったらいいのだろう。どんな言葉をかければ、二人はいつものように笑ってくれるのだろう。
そこに、ロズウェルがやってきた。
「ドロテーア、ヤスル教授がお呼びだ」
精霊の助けだ、とシフルは思った。
「先生が? 今、忙しいんだ。ロズウェルがいれば用は足りるだろう? 勘弁してよ」
ルッツは口惜しそうに言い返す。
「今日はいつもとちがって、風(シータ)のみの実験だそうだ」
「ロズウェルがやればいい」
ロズウェルは水(アイン)一級を召喚できるのみならず、火(サライ)も四級まで呼べるという。おそらくは、風(シータ)もかなりの上級精霊を使役できるにちがいない。
「そうもいかない。私は属性ちがいだ。他にも名だたる精霊召喚士のかたがたを集めてやるそうだよ。あのヤスル教授が、殊勝にも、おまえを気づかって昼休みに」
ロズウェルは、殊勝にも、を強調した。ヤスル教授が、この世でいちばん愛している実験や研究のおりに、協力者の都合を考慮することは珍しい。あまりにも周囲を顧みずに研究狂ぶりを発揮しているヤスル教授は、当然「狂人」の名をほしいままにしている。
ルッツは嘆息した。
「はいはい、わかったよ。シフル、またね」
彼が諦めてその場をあとにすると、シフルは安堵の息をついた。
「まさかこれからあいつ、毎日ここ来て昼食うんじゃないだろうな! 俺、絶対イヤだぜ」
ユリスが、心底不快げな顔をして吐き捨てる。
「うん……」
アマンダも遠慮がちに同意した。二人がシフルのほうに視線を投げてきたので、少年は困って思案をめぐらせる。
「誰がいやと言っても彼は来る。ドロテーアはそういう人だ」
シフルが口を開く前に、ロズウェルが答えた。彼女はドロテーアに対する理解が深いらしい。シフルがロズウェルに目をやると、彼女はさらに続けた。
「だけど、悪い人間ではないよ。自分に正直すぎて、まわりを見ないのが難ではあるけどね。彼に邪険にされたくなければ、自分を磨くことだ。彼はそれなりの実力の持ち主のことはちゃんと認めるから」
なるほど、ロズウェルに対してはそれなりに素直だった。彼いわく「おもしろい」という自分に対しても、別に問題はない。ただ、ユリスとアマンダへの態度は目に余る。
「それなりって、ロズウェルさんやシフルのことでしょ? ムリだよー、そんなの」
アマンダがさっそく投げだす。シフルは勢いよく頭を振った。
「オレぇ? そんなことないない」
するとアマンダは、急にまなじりを鋭くする。
「ひとりだけ六級火(サライ)呼べたじゃない、学説だって覆した。それなのに、呼べない私たちにそんなことが言えるの?」
アマンダが感情的になっている。傷ついた顔で、シフルに食ってかかった。私たち、と言われ、ユリスがうつむいた。
「あ――」
シフルは失言を悔いた。二人とも何もいわなかったから気にもしなかったが、やはり二人はシフルの成功に焦りを覚えていたのだ。想像するまでもなく、シフルが五級精霊を召喚できない以上に。
「ごめ……、オレ」
シフルがとっさに謝ろうとすると、
「きっと、それだ。ドロテーアがきらっているのは」
ロズウェルが金髪の少女をまっすぐに見た。「ドロテーアがおまえたちを認めないのは、おまえたちがドロテーアを認めないからだ。……どうして、わからない? 簡単なことなのに」
そのまま、彼女は踵を返す。アマンダやユリスを顧みることなく、足早に立ち去った。芝生を踏みしめ、校舎に入っていく。
「待てよ! ロズウェル!」
シフルは彼女を追った。瞬間、友人のことを忘れた。振り返ったロズウェルの黒い瞳が自分をにらみ返したとき、再び友人の傷ついた顔を思った。傷つけたのは、ルッツ、彼女、それに――他でもない自分。しかし、
「あんな言いかたないだろ! 気づかいが足りないのは、ロズウェル、あんただって一緒だ。オレたちにとって、どれだけあんたたちの力が大きいか、わかれよ。めげたくもなるよ」
シフルはロズウェルを責めた。自分を棚にあげているのにも、気づいている。でも、止まらなかった。
「すまない」
シフルの予想に反して、ロズウェルは謝ってきた。逆に叱責されると思っていたのに、とたんに毒気が抜けた。
「私たちは言いかたがきついらしい。それはわかっているし、反省もする。だけど、『めげたくもなる』のが自分たちだけだと思うな。私やドロテーアが、他の追随を許さない天才などといわれて、なんとなく遠巻きにされているのはわかるだろう。一緒にいると劣等感を覚えるとか? まあそれはどうしようもない。だからあきらめている。でも、私たちがそれで本当にめげてなどいないか、平気でAクラスに君臨しているのか、ちゃんと考えろ。文句はそれからにしてもらいたい」
シフルは眼をみひらいた。もともと、彼女やドロテーアの思いは察していた。でも、彼女自身がはっきりと言葉にするのと、想像のうえでの理解はちがう。
「……だから、私たちはいつも待っているんだ。劣等感を覚えようと、自分たちに追いつこうとする人間を。ドロテーアがダナンを気に入ったのは、もちろんダナンに召喚学上の《異質》を感じとったせいもある。それは私にもわかる。だけど、それ以上にきっと、ダナンを見て、話して、直感したんだ。ダナンがその人間かもしれないと。自分を怖がって忌みきらう多くの学生とはちがう。あきらめずに自分を目指してくる」
そう言って、ロズウェルは少し笑ったようだった。「だから、そう邪険にしないでやってくれ」
言うべきことを言い終えると、彼女は行こうとした。シフルは反射的に彼女の腕をつかんで、止めた。
――そうだ。オレは、ちがう。
と、彼女に叫びたかった。
――オレは本気であんたを目指してる。絶対あきらめない。
だからあんたも、オレにちゃんと向きあえ――そう言いたかった。だが、シフルはルッツほど自分に正直にはなれなかった。うしろで、ルッツと彼女と自分とで傷つけた友人が見ている。それを考えると、声が出なかった。
ロズウェルは引き止められて苦笑したが、告げる。
「……私も、たまに探したくなる。誰かを試みてみたくなるよ。もっと本当のことを知ったら、どうなるか」
「じゃあ、試せよ」
ロズウェルの言葉に、シフルはそう返した。これが、本音だ。二人を傷つけたことなんか、本当はどうでもいいのかもしれない。結局、ロズウェルとルッツと同じになることが望みで、だからすでに同じなのかもしれない。
「わかった」
ロズウェルはうなずいた。「じゃあ、人気のないところに行こう」
広場の喧噪がひどく遠い。
さっきまでは自分もまちがいなくあの騒がしい場所にいたのに、今は他に誰もいない廊下にロズウェルとふたりきりでいる。自分が目標とする人物と、向かいあって立っている。
しかも彼女は、他でもない自分を試みるためにたたずんでいた――シフルには、まるで別世界のことのようだった。Aクラスに入ったばかりの日、初めて彼女を近くで見たときも同様の感想を抱いたけれど、今度のほうがその思いは強い。
シフルはそうして興奮を覚えていたが、緊張してもいた。自分が「その他大勢」とちがうかどうかは、今のところ自己認識の限りでしかない。もしちがっていたら、自分は好敵手として彼女と向かいあうことをあきらめて、脇目もふらず逃げだすのだろうか。他の学生と同じように、決して手に届かない雲の上の人に対するがごとく、彼女やドロテーアを遠巻きにするのだろうか。
高みをめざすがゆえに人を傷つけるということもなく、ただ傷つけられることを恐れて生きるのだろうか。
(『本当のこと』って、なんだろな……)
ヒントは何ひとつ与えられていない。ただ、人気のないところへ、と言われて校舎の片隅に連れてこられただけだ。わかるのは、人目をはばかるということ。それは恐るべき物語なのか、恐るべき力の発現なのか、彼女がやろうとしていることの見当はつかない。シフルは、うつむきかげんの彼女をちらりと見やった。
ロズウェルは、シフルを「試みる」ことを決めかねるかのように、みじろぎひとつしないでいる。そのあいだに、日がかげり、そして照った。雲が流れきては影をつくり、去ってはまた日があたる。ロズウェルの端整な顔に、光と影がかわるがわる差していく。
やがて、シフルは口を開いた。
「試せって、オレが言っただろ。何を迷う必要があるんだよ」
何を見せる気なのかは知らないが、それがいかなる結果になろうとも責任は自分にあるからかまうな、とシフルはいいたい。オレが、を特に強くいった。
「そうだな……」
ロズウェルはまだためらいがあるようだったが、意を決したらしく顔をあげた。
そうして、
「――キリィ」
彼女は何者かを呼んだ。
それから、手を差しのべる――すると、そこに手があった。差しだされた彼女のてのひらをしっかと握り返す、小さな手。
白く小さい、幼児のものらしき手は、突如として現れただけではなく、光をまとっている。いや、正確には、最初に光が生じ、そのなかから手が伸びてきたのだった。とにかく、もともとそこになかったはずの手が、ロズウェルの呼び声に応えて姿を現したのである。シフルはまず、それだけで言葉を失った。
しかも、手だけではすまなかった。続いて、手から腕、腕から肩、肩から胸、それに頭と、からだ全体が光のなかから滑りでた。
いまだ幼い、少女のからだである。
おそらくは十歳前後といったところだろう。それは、ひと言でいえば美しい子供だった。ぱっちりと開かれた瞳は、海のように深い青。短く、わずかにうねっている髪は、人間とは思われない――白さだった。
(これは……)
少女の耳は、長く尖っている。人間としてはおかしな色素、それに尖った耳といえば、
――妖精。
シフルは内心断言した。
妖精に遭遇するのは二度めである。一人めは気がちがっていたが、とりあえず主な特徴は同じ。
この短期間で二人も会えるなんて、とシフルは単純に感激した。というのも、精霊は召喚して力を発現させない限り目には見えないが、上級下級入り交じって大気にひしめいている。しかし、妖精はちがう。
青い髪の気狂い妖精のために調べたのだが、精霊は実体のない《霊体》のままだと《安定》できないという。《安定》するために、彼らはいつも拠りどころとなる器を探しているそうだ。彼らが宿るのは植物や、犬猫をはじめとした動物で、人間にも宿る。ただし基本的に、器に生命のあるあいだは、精霊の入る余地はない。つまり、精霊は死骸に宿借りする。精霊が何らかの器に入ったもの、それを妖精と呼ぶ。
妖精になることのできる精霊は非常に格が高い。ある学者は、少なくとも三級以上だといっている。彼らは彼らの価値観上《美しい》ものにしか宿らないから、自然、あまり《美しく》ないものに宿っているのが下級精霊、《美しい》器を勝ちとったのが上級精霊である。精霊界において階級は絶対であり、逆らえない。
人間の器は、死体と化したところで、大半は精霊のお気に召さず朽ちる。ごくごく一部、極上の《美しさ》をもつものだけが、精霊を宿して二度めの人生を歩むのである。それが起こるのは、ものの話によると数十年に一度。
精霊は生後十年以内に死んだ子供を好むというが、それでも早世した子供のすべてが復活するわけではない。それなら、子供を失って嘆く不憫な親は存在しなくなる。また、仮にその子供が《美しい》として上級精霊に選ばれたとしても、それはおおかた安置していた遺体の行方が知れなくなってから気づくものであり、喜びとともに子供の復活を知る親はまずいない。万が一そうなったとしても、生前の子供の人格とは異なるのだから、いずれその喜びも、子供が死んだときと同じ悲しみにとって代わろうというもの。
そんなわけで、妖精は珍しい。妖精というだけでも珍しいが、人間に宿借りした妖精はもっと珍しい。だからシフルは、ロズウェルの手を握って姿を現した妖精を見たとき、ただ珍しい体験が重なったのを喜んだ。
(すっげー、目ェでっけー! カワイイなー。あの気ちがいはどちらかというと、とてつもない美人って感じだけど)
シフルは妖精の愛らしさに心弾ませた。が、それは彼女がやってきたその瞬間だけのことで、すぐにその意味を悟った。
ロズウェルが呼んだ、ということである。
子供の姿をした妖精は、その属性の元素精霊長に近しい者だという説がある。それにまさしく該当するのが、目の前の妖精。火(サライ)、水(アイン)、風(シータ)、土(ヴォーマ)の四元素精霊長こそ、万象を司る存在だ。そのすぐ近くで仕えているかもしれない存在を、ロズウェルは一声のもとに召喚した。
「……エルフだよな?」
シフルは念のため確認した。人間を器とする妖精は、エルフと呼ばれる。
「そうだ。水(アイン)の眷属で、通り名をキリィという」
ロズウェルの声に反応して、キリィという名の妖精が顔をあげた。握りしめていたロズウェルの手を確かめるように触れてから、妖精は眼をみひらく。
「まあッ、セージ! やだ、久しぶりじゃない!」
とたんに表情を明るくし、ロズウェルの首に飛びついた。「あなたちっともあたしを呼んでくれないんだもの! 他の水(アイン)は呼ぶくせにあたしのことはめったに! わかってるのよー? そんな遠慮しないで、もっと使ってくれていいのにーッ!」
妖精は、その子供らしい外見に相応しくない、中年女のような口調でまくしたてた。ロズウェルの胸に自分の顔をぐりぐりと押しつけている姿には、妖精のあふれんばかりの愛情があらわれている。
――一級精霊が、こんなにも好意をあらわにしてるなんて。
シフルは舌を巻く。ロズウェルは一級水(アイン)を召喚可能とすることで、《水(アイン)を讃える若人》の役に任命された。推測するまでもなく、この妖精のことなのだろう。
彼女が一級を使役することは聞いていたけれど、じっさい目の当たりにすると改めてひやりとした。一級の精霊を使役する者は、理学院の学生はもちろん精霊召喚士でもそう多くない。それどころか、そういった者は一級精霊召喚士と呼ばれる超一流の召喚士で、プリエスカでも片手で数えるほどだ。
妖精はシフルの存在など目に入らない様子で、ロズウェルにまとわりついた。やがて満面に笑みをたたえると、
「で、何の用なの? 誰か殺してほしいの? セージの頼みならなんでも聞いちゃうわよー」
と、とんでもないことを言ってのける。妖精は人間的な倫理観とは無縁だ。ロズウェルも慣れているようで、平然と聞き流した。
「そこの子に、あなたを見せようと思ってね」
ロズウェルは、自分の呼びかけに応えてやってきた妖精のため、わずかに笑顔をみせた。妖精は心底うれしそうに笑い返し、
「あら、友達?」
と、ようやくシフルに気づいた。「やっと新しい友達ができたの? よかったわね――……」
そして、なぜか沈黙した。そのとき、妖精の顔色が変わったのを、シフルは見逃さなかった。
(……? なんだ?)
理由は計れないものの、シフルには妖精の心の変化が手にとるようにわかった。少年は動揺する。妖精の変化の原因は、明らかにシフルにある。
――まさか、ルッツやロズウェルのいうオレの《異質》が、妖精には見える……?
「ダナン。キリィは、私に仕えてくれている水(アイン)の一級妖精だ」
ロズウェルは、二人のあいだの奇妙な空気には気づいていなかった。
「仕えて?」
シフルは息を呑む。意味がわからなかった。精霊は人間に力を貸しこそすれ、服従しているわけではない。でも、彼女の言葉はその意味にしか聞こえなかった。
「私は妖精憑きだよ」
「妖精憑き……?」
シフルは狼狽を押し隠して尋ねた。それは、教科書に出ていただろうか?
「妖精を自分の僕(しもべ)として従えている者だ。僕となった妖精は、主人に《名前》を知られることで強制的な支配を受けるから、主人は気兼ねなく力を使えるというわけだ」
「……」
シフルは黙った。「試みる」というのは、こういうことか。そりゃあ、一級妖精を自在に操る人間を、真剣に追いかけようとする学生はいないだろう。格がちがいすぎる。六級や七級を召喚するにも大変な思いをしている者が、元素精霊長級の力をもっている相手と張りあおうなど、むりがある。遠巻きにもしたくなるというものだ。
(でも、オレは?)
――オレはそれでも、ロズウェルを好敵手だといえるのか。
シフルはしかし、答えを出せなかった。自分が「その他大勢」と同じなのか、格の差を知ってもなお彼女を追いかけるのか。もちろん、自分が「その他大勢」だとは認めたくない。が、ロズウェルと自分では、現実問題、力の差がありすぎる。
(せっかくロズウェルが自分を認めてくれるかもってときなんだ、絶対逃げだしたくない。だけど、……むりはむりなのかもしれない)
シフルは押し黙った。今は答えを出したくなかった。
対するロズウェルは、シフルの答えを待っているふうである。少年は返答に迷った。
「……あなたまさか、《メルシフル・ダナン》?」
沈黙を破ったのは、ロズウェルにかしずく妖精だった。
「へぇ、すごいな。聞かなくてもわかるのか?」
シフルは名前を当てられて、驚きまじりに聞き返す。そういえば、母の使いだと言い張った狂人妖精も、シフルの名前を知っていた。
「……いえ」
妖精は返答しながらあとずさり、ロズウェルの陰に隠れた。明らかにシフルを警戒している。
「あなたの《血》が特殊だから。精霊のあいだでは知られた名なの」
「《血》って……特殊って」
なぜかキリィに恐れられているのと、突拍子もないことを告げられたのとで、シフルは呆気にとられた。
「もしかしてあなたも召喚士になる気?」
キリィは続けて質問を投げかける。
「……ああ。できれば」
おそるおそる肯定する。キリィが何を言わんとしているのか、おおよそ読めてしまった。
「そう……」
妖精はうつむいた。彼女がゆっくりと口を開くのが見えた。シフルはその先を聞くのが怖かった。だが、聞かなければならない。それが変わりようのない事実なら、残念ながら早いに越したことはないのだ。
「かわいそうなメルシフル」
妖精の青い瞳が、真摯にみつめてくる。その瞳には、恐れではなく、心からの同情があった。シフルは困惑した。
「言っておくけど、あなたはね……、その呪われた《血》ゆえに、三級以上の精霊の力を借りられないのよ」
――……なんだって……?
シフルは言葉もなく立ちすくむ。けれどすぐに、
「どういうことだよ。知らない、そんなこと。《呪われた血》って、いったい――」
と、問い返す。
キリィは苦々しい顔で、少年に答えを与えた。
「呪ったのは、あたしたちの精霊王さま……すべての精霊を統べるかた、真に万象を司るかたです」
――《精霊王》……。
知らない、そんなもの。シフルは呆然とつぶやいた。実際、そんな名前は初耳だった。
万象を司るは、火(サライ)、水(アイン)、風(シータ)、土(ヴォーマ)の四属性の精霊である。四つの力は互いに拮抗し、混じりあって世界を構成する。そして、ひいては各属性全体を統べる四つの元素精霊長こそ、万象を司る存在なのだ。――それが、シフルのもっていた知識であり、理学院召喚学部や元素精霊教会のおしえだった。
――《精霊王》……?
真に万象を司る存在としての《精霊王》。精霊讃歌や教科書では見かけない名前。
「《精霊王》って……?」
シフルは少しだけ冷静さを取り戻すと、キリィに問う。
「元素精霊長の上に君臨なさるかた。多くの属性は、精霊王さまの支配のもとに」
キリィは淡々と答えた。極力そうしようと努めているかのようだった。
「――でも、なんで……。なんでそんなものが、オレの血を呪う必要があるんだよ」
定説や学説が誤っているのはままあることだ。シフルには、それまでの知識が覆されたことへのこだわりはない。しかし、最大の疑問を押さえておくことはできなかった。
「ごめんなさい」
そう小さくつぶやいた妖精のまわりに、光が集まってきた。「私もこれ以上あなたと関わると、呪われてしまう……。悪いことは言わないわ、召喚士はあきらめなさい」
じゃあセージ、またね、そう言い残し、キリィは光のなかに姿を消した。
「キリィ! 待って」
ロズウェルはあわててその名を呼んだ。が、主人の呼びかけさえ、妖精を止める力はなかった。
白い髪の妖精は去った。
「……ダナン――」
カラン、カラン、と鐘が鳴っている。午後の授業開始の音だ。それは、ひどく頭に響いた。
「すまない……、私がキリィを呼んだりしたからあんなこと……」
ロズウェルは、そもそも何の目的で妖精を呼んだのかも忘れて、シフルに謝罪した。シフルは反応を返さない。
「ダナン!」
ロズウェルはもういちど少年の名を呼び、彼の肩を叩いた。びくり、とその肩が震え、弱々しい眼がロズウェルを見返した。
「……あ、ああ、いいよ。どうせいつか気づいたことなんだろうし。キリィは……親切で言ったんだろうし」
彼女は《精霊王》の呪いが自分にも降りかかることを恐れつつも、シフルに同情的なふしがあった。つまり、キリィ自身がシフルに悪意を抱いているわけではない。すべては《精霊王》に起因する。
「傷口は浅いうちにってやつだ、オレは大丈夫。さてと、次の授業行こうぜ? 剣術は出席点大きいから、急いで行かないとな」
シフルは明るく装って言った。踵を返し、歩きだす。
「……ああ」
返事したロズウェルは、釈然としないふうだったが、それ以上なにも言わなかった。
言って何になるだろう――黙って、シフルのあとからついていく。
(私の些細な望みが、彼の希望を打ち壊したんだろうか)
彼女はひとりごちた。――これで、何度めになるのだろう。誰かの人生を狂わせるのは。
彼女は、絶望的な気持ちで思う。彼には、いつか「本当のこと」を伝えられたらいいと、思っていたのに。……
